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​地平に並ぶ Ⅱ


Artists
中村 幹史 Motofumi Nakamura


Exhibition   
2022/4/2(土)-  16(土)
​11:00 - 17:00( 休み 月火水 )

​ 昨年末某運送会社の倉庫で仕分け作業のバイトをしていた。休憩時間に用を足しに行くと、個室トイレの壁にうんこが塗られていた。筆跡とマテリアルから塗ったという行為は推測できたが、「なぜ」「どうして」と想像できない部分に襲われた。避けられ見慣れない「うんこ」というマテリアルが放つ現実感と客観的に辻褄が合わない動機や思考、見えない過程により異様な光景が広がっていた。

 昨年の夏に土葬のお墓を見た際、人が埋まっているという事実とそこから想像させられる内容に不謹慎ながら「生々しい」と感じた。日本では土壌汚染や都市開発、公共衛生といった側面から徐々に土葬は見慣れない光景になり、今や火葬の工程は業者に行われ、遺体との対面は葬儀と火葬前後のわずかな時間しかなく、簡略化され、遺体や死という存在から距離がある。そうした背景なのか、土葬は現在の火葬よりも遺体や死の存在の現実感を感じた。また土葬を執り行う思想や動機、死から埋葬までの過程を読み取ることは、時代の経過なのか私にとっては想像しにくい部分もあった。

 アスファルトに残された足跡、空に飛んでいく風船、道に落ちている手袋、ものから人間の行為が推測でき、第三者は辻褄が合うように原因を整理しようとする。しかしながら、ものによっては論理的整合性が取れない、辻褄が合わない、混乱をきたす場合が起きる。うんこに対しての認識は全員が当たり前に共有していないのかもしれない。腐敗への恐怖心と公衆衛生的な側面から起こる死に対する忌避行動は普遍的な生理欲求ではないのかもしれない。私たちが何気に信仰している価値観は、脆く見える。

 私は昨年夏より〔土葬〕から着想を得て制作をはじめ本展で2回目の制作展示となる。1回目の制作では、土葬の埋葬方法にみられ〔遺体を入れるための穴掘り〕を行なった。インタビューやリサーチを行い、土葬を知る・認識する手段として埋葬の再現的な方法による制作をした。
​ 前回を踏まえ本展に向け制作を行なっているのだが、ふと火を使いたいという衝動に駆られた。そして炭化したものを削りたい欲求に呑まれた。そのためには木材が必要だ。いや肉も必要だ。豚か鶏で代用するしかない。衝動に駆られた先にどこに行くのか、冷静になると怖くなるのである。

【中村幹史 参考画像】
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(木津川アート2018 展示風景、2018年 木津川市)

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(winwin art gallery 展示風景 2019年 台湾 高雄)

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(53美術館 展示風景、2019年 中国 広州市)

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