芸術と生の一致 耕作する喜びのために
美術家/批評家
山崎裕貴
1
嗚咽なしに見ることはできないアートのようなモノがホワイトキューブに横たわっている。
人体の腐乱臭にかぎりなく近い激臭がギャラリーに充満し、ギイギイと不穏な音を立てながら観客に襲いかかる。藤生恭平はキャンバスでカビを栽培しているのだ。観客が100人いれば、全員が一刻もはやくこの場から立ち去りたいと願うだろう。
ここはあまりにも居心地が悪い。
カビと悪臭を育てるため、まず藤生は全裸になる。つぎに液状の小麦粉で満たされたドラム缶へと深く身を沈める。その瞬間、藤生の全身の菌と小麦のアマルガムがキャンバスに飛び込む。
その工程が終わると藤生は速やかに、24時間80パーセントの湿度と20~30度の温度が徹底的に維持管理されたビニールハウスを組み上げる。キャンバスを覆い囲むのだ。さらにはギャラリー空間も湿度と温度を維持するために温室と化す。こうしてカビの栽培がはじまる。それによって、空間内の隠れたカビはキャンヴァスの上に可視化され、増殖の一途を辿っていく。
細かいはなしだが藤生は時折、キャンバスの上にカビのコロニーを移植する。つまり、より肥沃な平面にすることで指数関数的にカビを成長させるのだ。ちなみにコロニーは、事前練習として小麦粉まみれの藤生が40回ほど水平のベットに飛び込み、栽培テストを行った残骸から移植されいている。当然ながら臭いも爆発的に過激になっていく。
毎日ギャラリーでビニールハウスをめくっては噴霧器で水をやり、赤や緑に日々変化するカビを愛でる藤生の姿は、農民と呼ぶ以外にない。
2
もちろん、この感覚は現場以外では伝わらない。たとえば、ここにある無臭の文字を読めばイヴ・クラインやジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグなどの作家、プロセス・アートやアルテ・ポーヴェラなどの様式が芋づる式に浮かんでくるはずだ。より正確にいえば、筆者も許容できる悪臭の段階までは現場でそのようなことを考えもした。けれども、ある一定の閾値を臭いが跨いだ瞬間、震えが込み上げ、専門的な話はすべて思考不可能となった。兎にも角にも、その場から立ち去るしかないのだ。
正直にいえば、まだ筆者はまじまじとカビの細部を見ていない。いや、見ることができるかさえ分からない。
そのためここからは、あえてエリート主義的な議論を迂回していく。
まずは「アートっぽい」という言葉、そして農民としての作家と、ひとが生きるということ。この関係性から芸術と生の一致について考えたい。それにより、本展の可能性の萌芽を探っていく。
そもそもなぜ「アートっぽい」という言葉なのか。藤生は栽培にとりかかる直前、とある批評家に自身の屋外インスタレーション(他作品)を「アートっぽい」 と酷評され落ち込んだという。「アートっぽい」という言葉はここ数年の美術界の流行語となっているのは事実であり、それを真に受ける必要もないが、やはり作家側からすれば作品への辛辣で否定的な評価として受容されていることもまた事実なのだ。 病んだ心ない言葉で作品を告発することが批評家の仕事ではない。アートっぽさの背後で言葉なきままにとどまっている声を聞くべきであり、到来することのない光を捉え、喜びへと変えることができずしてなにが批評家だろうか。
そのような経緯を経て、藤生はアートっぽいインスタレーションを耕作する農民となったのだ。
かつて、哲学者のジャン=リュック・ナンシーは、「くに(pays)」/「農民 (paysan)」/「風景(paysage)」という3つの言葉に共通性を見いだした。それぞれの語は、ラテン語で「pagus(地方)」という語源に由来している。 急いで付け加えるが、ここでの〈くに〉とはナショナリズムや民族共同体などの 政治的な意味を含むものではない。ひとが愛着をもった故郷や居住地、お国柄のような所属を意味する。
すこし難しくいえば、〈くに〉とはつねに仮設的であって、共通で単一な領域にも、特異で単一な領域にも還元することはできない、一時的な境界画定のことだ。
わかりやすくいえば、ひとの故郷は変わる。長く暮らした土地が、出生地でもな いのに故郷のように感じることもあるだろう。故郷という場所は、どこにでもあるようで、しかしよく考えるとどこにもない。かくして、それだけが故郷である。いいかえれば、ひとが愛着をもつものは、じぶんのものにすることができないが故に、だれのものでもない。〈くに〉とは、そのつど私のものとして仮止めされては、 またほどかれていくものなのだ。
そして農民は〈くに〉と深く関わっている。農民とは時間と場所を占有して〈くに〉を生みだすのだが、四六時中も栽培に掛かりきりになり、〈くに〉に占有されてしまう者のことをいう。
農民は仕事の対象にむかって働きかけるだけでなく、また「時間と場所」に 対しても働きかける仕事人である。[ ...... ] 。たんに生
産するだけでなく、 まずは耕作する者、すなわち到来させ、育つがままにまかせる者として。農民とはまた、自分の労働がその人
にとってのすべてではない者であり、自分の作業以外の作業にも時間と場所を割く〔与える〕者であり、熟させることや待機、期
待、埋もれてしまった遠い昔の記憶、突然変異、予期せぬ交配、天候の天変にも場所と時間を割く〔与える〕者である。▶︎1
腐乱臭のなか「どう描くとか、どうやって展示するとかもう結局考えらんないくらい、カビにつきっきりだよね、もうこのまま会期中もずっと育てよっかな」と、 藤生は笑みを零す。
また、農民は「異教徒(païen)」でもあるとナンシーはいう。農民と異教徒はどちらも、ラテン語の地方(pagus)の形容詞であり、侮蔑語として使用される「田舎者(paganus)」という言葉に由来している。
異教徒たる農民は、その地のあらゆる神々を歓待し、折り合いをつけなければならない。ときには、嵐や洪水によって作物を破壊されることさえある。「大麦の種や種牛、雷にとらわれ、それに掛りきりになるのと同じように、神々にもとらわれ▶︎2」ているのだ。つまり、異教徒は自ら生みだした〈くに〉で、自己を使いはたす。
したがって風景とは、農民と〈くに〉が一体化している光景のことをいう。農民の背景が風景なのではない。〈くに〉のなかで農民は、かぎりなく小さくなっているのだ。
もはやそこに固定された完成物はなく、移ろう雲のように絶えず「異郷化 (Dépaysement)」される耕作の風景だけがある。放置すれば作物は腐り、気候は思い通りにならず、害虫は見つけ次第殺さなければいけない。土壌が塩害によって耕作不能になってしまうことさえある。実のところ異郷化する風景とは、観客には当然のこと、作家の藤生本人にも「居心地が悪い(Dépayse)」。天から丈夫な心身を授かった藤生でさえ「鼻にツンとくる刺激臭で早退した」ことがある。
しかし、思いがけない雨や豊穣が贈られてくることもある。だから、藤生は刻一刻と変化し、つねに未完の風景への眼差しを止めることができない。つねに異郷化する〈くに〉に自己を占有され、にもかかわらず自己を使いはたすのだ。
3
そしてインスタレーションの核心はここにある。インスタレーションとは「異教徒の〈くに〉」なのだ。
1966年にアメリカの作家アラン・カプローが定義した「環境 (environment)」から派生し、70年代にはインスタレーションという用語が定義される。一時的に展示空間を占有して観客をつつみこむ作品のためにつけられた名前だ。そのため、インスタレーションは古代ギリシャからの職人のように、制作したモノによって作家が定義されるパラダイムではなく、絶えず異郷化される風景こそが条件となった。
ロシアの作家、イリヤ・カバコフがまさに異教徒の〈くに〉としてのインスタレーションを展開している。1933年、ソビエトの社会主義国家に生まれ、生涯の大半を国内で過ごしカバコフは、晩年まで西側諸国から見れば田舎者の作家だった。
1998年の《わが人生の方舟》というインスタレーション作品のなかで、彼は1985年当時のことをこう振り返っている。
アトリエの隅に《アパートから宇宙に飛びだした男》のインスタレーションを制作し、内部にソヴィエトのポスターを貼りめぐら
す。しかし、立ち入り検査され、逮捕され、「すべての終わり」がくることを恐れて、友人に見せたあとはかならず分解する。▶︎3
秘密警察に作品が見つかれば、異教徒として異端審問にかけられることは免れられない状況。インスタレーションの一度きり性と仮設性は、彼の生に直結していて切り離すことができない。生がいまだ未完であるためにこそ、作品にも終わりがあってはならないのだ。むしろ、そこに制作があってはならない。
ひとりの作家にとっての社会主義国家のなかで、彼は絶えず神々と折り合いをつけなければならず、つねに異郷化される生とインスタレーションが相討ちとなって崩れ落ちる。その〈くに〉とは、どこにでもあって、しかし、どこにもない。
つまるところ、彼のように〈くに〉で生きることは、たしかに現前しながら、止まることなく同一性から立ち去る風景となるのだ。生はじぶんのものにできないが故に、だれのものにもすることができない。だから彼の作品は、間違っても「作家の生を切り売りするような芸術」などではない。筆者はこの手垢のついた言い回しに同意しない。そもそも芸術と生は、同一性の平面上では決して交わらないからだ。
一方、藤生は三重県の生まれで、美大を卒業していない作家である。現在は京都で活動するが、東京芸術大学への進学を考えているという。なぜ進学するのかと聞けば「地方と美大出身者へのコンプレックスなのかもしれない」のだという。藤生は典型的な田舎者なのだ。
さらに、藤生は知的な会話をする美術家と批評家を好まない。それもそのはず、 今日の美術界で目立つのは、批評家のような作家と、作家の猿真似をする批評家だけなのだ。いまは亡き批評家のマーク・フィシャーがいうように、「新自由主義が説く魔術まがいの自発性至上主義▶︎4」に囚われた人々とは、まさにこの作家と批評家のことではないか。
そのような専門家は一見すると、領域横断的に自己をかぎりなく小さくしているように見えるのだが、その内実は異なる。自分自身であろうとする自己正当化だけが行われているのだ。つねに内輪で議論を重ね、相入れない立場の者同士はけっして交わることもなく、そこにコミュニケーションは存在していない。そして、そのような世界に耐えられなかった者には、美術を語る資格が剥奪されているのだ。
その具体的な解決方法としては場所を確保することだと筆者は考え、現在準備を進めている。それはインディペンデントでアングラなギャラリーでもなければ、大きな資金的背景をもったアートスペースでもない。論旨から外れるため、これ以上ここでは触れられないが、すくなくとも専門的な議論を真面目に交わしていても意味がないことだけは確かだろう。
4
「アートっぽい」と藤生の作品を評した批評家のアートに対する定義がどうであれ、わたしたちは今日のような「アート」という所有された領域、つまり、大きくみればここ200年ほどで成立したシステムの内部で活動を行なっている。美術館や現在のような美術批評、展評、美学という用語、さらには様式の継起としての美術史、模倣ではない表現としての美術の認識が誕生したのは、すべて18世紀であ る。
その意味では、藤生はアートに対する異教徒なのかもしれない。そして、あの批評家も彼の基準に従ってこのことに同意するだろう。
けれども、藤生の作品にはアートっぽいモノを肯定的に捉える可能性がある。そ の可能性を藤生のなかではじめて大きく感じさせたのが本展だと筆者は考える。もちろん、それはアルテ・ポーヴェラやランド・アート、あらゆるアヴァンギャルドのように美術制度の外部を求める運動ではない。はたまたアウトサイダー・アートでもない。
藤生はギャラリーの外に出るまでもなく、ホワイトキューブから排除される者 (=カビ/アートっぽいモノ)を耕作し、その空間があまりにも豊かな土壌を隠していることを示してみせたのだ。そこでは制度内部へと扉が開かれているにもかかわらず、専門家でさえアートっぽいモノに嗚咽するしかなく、自ら立ち去りを懇願するのだ。それは〈くに〉を耕す農民による、よその〈くに〉内部からの異郷化である。これはシュルレアリスムの「居心地の悪さ(Dépaysement)」でもなけれ ば、ロシア・フォルマリズムの「異化作用」でもない。
そして重要なのは、藤生が手垢にまみれたお気に入りの専門用語や方法論で発言を飾り立てることも、最新技術で作品の同時代性を装ったりもしないことだ。そもそもアートとは、農民たる作家が愛した〈くに〉であり、作品によって占有された風景なのだから。
それゆえ、農民に向かって「あなたの〈くに〉はどこなのか」と問い詰めることに意味はない。今日の美術制度は、アートっぽいよその〈くに〉に対して、さらには自らに対しても、もはや言うべきことがなにも残されていないのだ。そこには作るべきモノさえ残されてはいない。
いまここには、批評もなければ、制作もない。あるいは、ようやく到来したというべきか。作家のフランツ・カフカがいうとおり、ここにはふたつの可能性がある。
自分をかぎりなく小さくするか、あるいはまさに自分でいるか。一方は完了であって、つまり無為であり、いま一方は始まりであっ
て、つまりは行為だ。▶︎5
かくして、わたしたちは民に「なぜここはあなたの〈くに〉なのか」と問いかける。すると民は、そのつど生まれる〈くに〉の名において美術を語るだろう。わたしたちは絶えず異郷化される風景として、耕作し、神々に囚われている。
喜びのなかで、ひとり、共にあるために。
注
▶︎1 〔「異郷化をともなう風景」ジャン=リュック・ナンシー『イメージの奥底で』西山達也、大道 寺玲央訳(以文社、2006年)127項〕
▶︎2 〔「異郷化をともなう風景」ジャン=リュック・ナンシー『イメージの奥底で』西山達也、大道 寺玲央訳(以文社、2006年)128項〕
▶︎3 〔「実現されたユートピアの思い出」沼野充義『イリヤ・カバコフの芸術』(五柳書院、1999 年)303項〕
▶︎4 〔「「じぶんたちから逃れていった時間にずっと憧れている」̶̶ローラ・オールドフィールド・ フォード『サヴェッジ・メサイア』(2011)への序文」マーク・フィッシャー『わが人生の幽霊 たち̶̶うつ病、憑在論、失われた未来』五井健太郎訳(株式会社Pヴァイン、2019年)305 - 302項〕
5 〔「八つ折りノートG」フランツ・カフカ『カフカ小説全集』第六巻(『掟の問題 ほか』)池 内紀訳(白水社、2002年)92項〕